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2025年10月03日
平和・人権
有村 とく子

お気に入りの朝ドラ「あんぱん」 弁護士 有村とく子

「アンパンマン」は、困っている⼈を助けるために⾃分の顔(あんパン)を差し出す正義のヒーローです ョンのドラマ仕⽴てになっていて、戦前、戦中、戦後が、その作者である、やなせたかしさんと妻⼩松暢さ の激動の時代を⽣きた⼈達の波乱万丈の物語です。 んをモデルとするNHKの連続テレビ⼩説「あんぱん」 私はこの朝ドラをきっかけに、やなせさんのエッセを今年3⽉末からNHKプラス(後追い配信)で観てい イ集や「やなせたかしの⽣涯-アンパンマンとぼく」とます。2⼈の実在⼈物をモデルにしつつも、フィクシ いう梯久美⼦さんの評伝を読み、彼が⾃らの戦争体験をもとにアンパンマンを⽣み出し、その後も、⼦ども達に良い作品を届けようと命がけで努力し続けたというところに深い感銘を受けました。そんな彼を支え続けた小松暢さん、ドラマでは「朝田暢」役で今田美桜さんが実に活き活きと演じておられ、胸に迫るシーンや台詞が満載です。

この作品のすごさは、戦争のリアル―暴力と飢え―がきちんと描かれていることです。日本が軍国主義一 色の風潮に染まっていく中、暢は女子師範学校で厳しい軍国教育を受け、「愛国の鑑」として注目されることに戸惑いながらも、軍国主義教育に染まっていきます。卒業後郷里に戻り、母校の尋常小学校教師となり子どもたちに熱心に愛国精神を説きます。幼なじみの嵩とは、彼が東京の美術学校で自由を謳歌している様子に反感を抱き、ケンカ別れします。戦況悪化で人手 不足になると、子どもたちと一緒に農家等で勤労奉仕をし、その後の授業では子どもたちが疲労困憊する姿を目の当たりにして、暢は初めて自分の疲労感を漏らします。1945(昭和20)年7月4日には大空襲が高知市を襲い、翌8月15日に終戦を迎えます。暢は子ども達に自分が行ってきた軍国教育の誤りを詫び、子ども達を戦争へと仕向けてしまった自責の念から教師を辞します。

他方、東京の美術学校を卒業し就職した嵩もやがて召集され、軍隊で古年兵達から鬱憤のはけ口のごとく理不尽な暴力を受け、進駐先の中国福建省では、似顔絵の腕を買われて宣撫班に配属され、現地住民を懐柔するための紙芝居を制作します。しかし、戦況悪化により元の班に戻されると、日本軍が補給路を断たれたことによる食糧不足で強烈な飢餓状態を経験します。原住民が仲間の兵士から銃で脅されて泣く泣く差し出したゆで卵に飛びつき殻ごと貪り食べるシーンは、極限状態に置かれた人間の哀しさが描かれていました。
嵩の弟千尋は、弱い立場の人を救いたいと大学の法学部に進学しましたが、やがて海軍に志願せざるを得ない状況に追いやられます。戦争が無かったらしたいこととして、「愛する国のために死ぬより、愛する人 のために生きたい」という思いを兄に告げ出征し、南方海域で戦死します。

日本は「戦後80年」と言われますが、国の外では今も戦争が止まず、暴力と飢えに苦しむ人が絶えない状況です。朝ドラ「あんぱん」で描かれた戦争は、今を生きる私達と地続きであると思えてなりません。 やなせさんのように、「ぼくは戦争が大きらい」ときっぱりと声を上げ、人間が一番うれしいのは、人間をよろこばせること、ひとはみんなよろこばせごっこをして生きている、そんなふうに私達のだれもが思い合えるようになればどんなにいいでしょう。

ドラマでは、教師を辞して高知新聞社の記者となった暢が東京へ地元出身の代議士薪鉄子を取材した縁でスカウトを受け、意を決して東京に向かうことになりました。亡くなった夫次郎が日記の最後のページに、暢に宛てて、「自分の目で見極め、自分の足で立ち、全力で走れ、絶望に追いつかれない速さで」という言 葉を書き残しました。これを今後暢がどのように体現していくのか、続きも楽しみです。

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