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2025年08月19日
新着情報弁護士コラム

vol.39 「黒川の女たち」を観て

vol.39 「黒川の女たち」を観て

戦後80年の今夏、ドキュメンタリー映画「黒川の女たち」を観てきた。

日本軍(関東軍)が起こした満州事変後、日本は満州全域を軍事占領するために満州国という傀儡国家を誕生させ、そこに農民を開拓団として送り出した。国策によって満州にわたった「満蒙開拓団」。この映画はその中で起きた性暴力に関するドキュメントである。

敗戦直前の1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻した。開拓民を守ってくれるはずの関東軍は、開拓民を放置して逃げ出し、残された開拓団は過酷な状況に追い込まれた。なかには集団自決を選択した開拓団もあったという。

そのような中、岐阜からわたっていた黒川開拓団は、集団自決をするのではなく、生きて日本に帰ろうとした。そして中国人からの略奪や攻撃から身を守るためにソ連兵に護衛を頼み、ソ連兵が要求した「性接待」に18歳以上の未婚の女性15人を差し出した。「性接待」という言葉が使われているが、女性たちに対する性暴力そのものである。

開拓団の年長の男性たちは、出征兵士の妻を差し出すことはできないと考え、18歳以上の未婚女性を差し出した。妻や子は家の所有物という家父長制の考え方に根差している。映画には、「性接待」に差し出された女性の体の洗浄を互いに泣きながらしていたという当時17歳だった女性の証言もあった。15人のうち4人は現地で亡くなった。

開拓団が生き延びるために犠牲となった女性たちは、帰国後、周囲からの差別と偏見、心無い誹謗中傷を受け、周囲の誰もが口を閉ざし、この史実は「なかったこと」にされてしまった。そんな中で、黒川を離れるしかなかった女性達、家族にも話せなかった女性達が描かれている。みなで集まり語らい合うことがあったようであるが、それが唯一のありのままの自分でいられる、癒しの場だったのではないだろうか。

この史実を犠牲者である佐藤ハルエさんと安江善子さんが、2013年に満蒙開拓記念館で開かれた講演会で公表した。それを受けて開拓団の子孫である遺族会が動き出し、ほかの女性たちの心も動かし、2018年、遺族会は「乙女の碑」に史実を記録し、謝罪した。

映画の中で、この史実を佐藤ハルエさんから聞き取り、授業にしている高校教師が登場するが、「現地への加害」「内なる加害」「男性目線の歴史の欺瞞」「日常と戦争の連続性」と整理していた。私には「日常と戦争の連続性」が心に響いた。

戦争や紛争下における戦時性暴力は、過去も現在も、支配の道具・手段として使われ続けている。戦時性暴力をなくしていくためには、平和の構築とともに、私たちの日常の中での性暴力を生み出す社会構造を変革していかなければならない。改めてそう心に刻んだ。

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