「確かに、療育(発達支援)は、障害や発達特性のある子に対し、その発
達を促し、自立した生活と社会参加ができるよう訓練や支援を行うことをそ
の直接的な目的とするものであるが、未成年者が、面会交流の際に、精神的
な負担に晒されて癇癪やパニックに陥ることなく、非監護親の愛情を確認で
きるようにするためには、未成年者の特性をよく理解した専門職が関与する
ことが望ましいといえる。また、非監護親である相手方が、未成年者と共に
専門家による療育(発達支援)に関与することにより、子の特性に合わせた
関わり方や養育環境の在り方を具体的に理解することが可能となり、その後
の親子交流が子の発達や情緒の安定により資するものとなることも期待でき
、日常の監護養育における課題を認識し、監護親による監護養育に間接的に
協力し、未成年者のためにより良い監護環境を培うことが可能になるといえ
る。このような事情を併せ考えると、療育施設における療育に相手方が関与
することは、面会交流の態様として合理性があり、許容されてよいものと考
えられる。」
「面会交流と療育とは趣旨目的が異なると」の一言で、母の主張を排斥し
た家裁の審判と、高裁の決定を読み比べた時、どちらがより深く、子どもの
福祉を考慮しているかは明らかだと思う。家事事件に関わるすべての裁判官
に、子どもの福祉を、真に考慮する洞察力を持って欲しいと、願わずにはお
れない。
以上