高市政権の誕生により、選択的夫婦別姓の実現はまたしても遠のいた。このニュースに接し、私は大学時代の苦い記憶を思い出していた。
当時、本心では夫婦別姓に「賛成」だった私だが、大学1回生のゼミのディベートで「反対派」の役割を与えられた。勝つための戦略として目をつけたのが、当時一議員だった高市氏の論考だった。「旧姓使用の範囲を広げれば法改正は不要」「パスポート等への旧姓の併記で不便は解消できる」という彼女の主張は同級生の受けもよく、私は見事勝利を収めた。
しかし、私は違和感が拭えなかった。「通称使用の拡大」では決して救われない人たちが厳然と存在するからだ。二重の氏名管理を強いられる実務的負担もさることながら、本質的な問題は、生まれ持った名前という「アイデンティティ」を否定される精神的苦痛にある。これは利便性の話ではなく、個人の尊厳や「人権」そのものが守られていない構造的な不平等だ。
あのディベートから25年。その後、私は弁護士となり、自らは事実婚を選択した。しかし、選択的夫婦別姓は未だ実現しない。今の大学生たちにも、高市首相が進める「通称使用拡大の法制化」というまやかしの決着は、またすんなりと受け入れられてしまうのだろうか。