杉田聡さんから寄稿していただきました
杉田 聡(すぎた さとし) プロフィール
帯広畜産大学教員(哲学)。性犯罪・セクシュアリティについて研究する。編著『逃げられない性犯罪被害者――無謀な最高裁判決』(青弓社)この間、長きにわたって多方面の話題をまいた橋下発言について、若干のことを記しておきたい。
そもそも、「慰安婦」制度が「必要だった」と橋下氏は言うが、その前提として問われるべき外国に対する侵略戦争の問題が問われていない。橋下氏は帝国主義政策下での諸国への侵略(日本の場合は中国へのそれ)は、まるで自然現象でもあるかのように前提しているが、その時代錯誤は批判されなければならない。なるほど石原慎太郎・前東京都知事が日本の侵略の事実を否定したことに対し、侵略だと認めるべきだと発言してもいるが、それは、日本の事情を当時の国際情勢に還元する点において、石原発言と本質的には異ならない。
また橋下氏が立つのは、「慰安婦」制度が必要なのは、それなしには軍人の性的欲求を抑えられず、したがって現地の女性たちに対する性的暴力が抑えられない、だから当時の日本軍にとって「慰安婦」は「必要であった」という論理だが、そもそもの人権侵害をなくすために他の種類の人権侵害を制度化することの問題にまったく気づかない点で、橋下氏はほんとうに弁護士だったのかと疑わざるをえない。
沖縄についても同じうかつさがある。橋下氏は、沖縄で米軍兵士によって「女性や子どもに対する性犯罪など重大な犯罪が繰り返されている」と論じたが、この場合も、そもそも米軍が沖縄に駐留している事実、したがって日米安保条約(日米間の軍事同盟)の問題になんら目を向けようとしていない。氏は、沖縄での発言に関してアメリカ国民に謝罪したが、本来謝罪すべきは何より沖縄県民に対してではなかったか。
その後橋下氏は、世論の批判を受けてかなりの発言を修正ないし撤回したが(おそらく選挙からみの配慮からであろう)、最後まで発言を変えなかった論点がある。それは、旧日本軍の関与はみとめつつも、「狭い意味の強制性」を示す文書はなかったという点である。この点で橋下氏は、安倍首相と基本的に同じ立場に立っている。
けれどもこれは完全な間違いである。安倍氏の発言を覆す文書は少なからず見つかっている(日本の戦争責任資料センター他編『ここまでわかった! 日本軍「慰安婦」制度』かもがわ出版、二〇〇七年)。もし安倍氏が日本軍の正式文書に話を限定したのなら、立論の基礎が間違っている。そもそも当時の刑法にさえ反する「略取」「誘拐」の事実を示す文書を、あったとしても、「敗戦」時に軍が残すはずがない。見つかるはずのない文書に焦点をあてた議論は、歴史の偽造に通じる。
「慰安婦」問題についてそもそも問われるべきことは、何よりも、確たる方針に基づく「慰安所」の設置・管理、「慰安婦」の募集、斡旋業者の選定・指導まで含めた、軍の明確な関与の事実である。「慰安婦」の募集を軍の最上層部が認可した公文書まで実は見つかっているが(吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店、一九九二年、一〇六頁)、実際、部隊内での性病蔓延と戦地での強姦の発生等を防ぐために設けた「慰安所」を軍が管理しなければ、所期の目的が果たせないのは明らかである。
重要なことは、軍の管理がおよぶ場で実際に多くの女性(特に朝鮮の)たちに望まない性的奉仕が強いられたという事実である。それを裏付ける被害者の証言は、数多い。そしてそれは、「略取」「誘拐」の事実をも明らかにしている。元「慰安婦」の証言に矛盾が多いと言い立てる学者もいるが、五〇年前の出来事が理路整然と語られることなどあるはずもない。特に心理的な忘却・抑圧のメカニズムが働く過酷な体験に関してなら、それは必然である。重要なのは非常に類似した多くの証言がなされたという事実であって、個々の証言の整合性ではない。
橋下氏は、海外からの批判を受けて、「強制性」があったのかどうかはっきりさせるべきだといまだに繰り返しているが、それは、前記の文書に関する自らの無知を示すだけである。ただし、安倍首相さえ同じ立場で論じており、下手をすると日本政府が、「強制性」を示す文書の存在を無視し続けるという悪い事態に陥るかもしれない。こうならないよう、私たちは断固として日本政府および橋下氏を批判しつづける必要がある。また日本政府は、政府省庁の書庫に眠っているかもしれぬ「慰安婦」関連資料をいまだに全く調査しようとしないが、これを調査させるための国民的な運動が求められるであろう。