お正月休みに、大阪中ノ島美術館で開催されている「決定版!女性画家たちの大阪」を観てきた。明治から大正、昭和にかけて活動した大阪ゆかりの女性日本画家59名の作品186点を紹介する展覧会である。
当時の美術界は、東京と京都の「男性」画家が取り仕切るという状況にありながら、東京・大阪・京都の三都では、女性画家が活躍し、大阪ではとくに大正期に盛んに活動していたという。一説によると大阪の画家の4分の一が女性だったようで、女性画家たちが切磋琢磨しながら、優れた作品を制作し、官展にも多数入賞するなどしていた。その活気が伝わってくる展覧会であった。
当時の家父長制による封建的な社会のなかで、女性が画家としての活動を続けるには、並々ならない意思と努力が必要であったことは想像に難くない。
なかでも興味を引いたのは、大阪を代表する女性日本画家・島成園の2つの作品である。日本画でよく描かれる「美人画」とは全く趣の異なる自画像である。
一つは大正7年、島成園が結婚する2年前に発表された「無題」という右頬から目頭にかけて大きな痣のある女性の絵である。実際の島成園には痣はなく、島成園は「痣のある女の運命を呪い世を呪う心持を描いた」と語ったという。「無題」という題名が、絵に対する説明を拒否して挑発的だと受け止められ、「卑怯千万だ」などと批判も受けたらしい。
もう一つは大正13年の「自画像」という絵である。「髪が乱れ、両目の周囲には隈があり、口は開き、病床にあるかのように重ね着した女性の顔は蒼白である。」その背景には役者絵のついた大きな羽子板が描かれているが、その人物の右手が板から突き出ており、「成園を殴るのか、あるいは喝を入れるかのように見える」と解説されている。
家父長制のもとで、女性であるがゆえの差別や暴力に晒される「人生」を生きるほかなかった当時の女性達の苦悩を表現しているように思え、これらの絵のメッセージは現在につながり、観るものの感情を大きく揺さぶる。
弁護士 雪田樹理