【法律とは無縁な生活から弁護士業へ】
初めまして。髙田和加子と申します。2008年3月より当事務所にて勤務しております。私は、法科大学院1期生として2006年に第1回新司法試験に合格し、1年間の司法修習を受け、修習地であった大阪にて弁護士登録(60期)をさせていただきました。
法科大学院の学生は社会人経験者など様々なバックグラウンドを持った方が多いのですが、私自身、学部時代は英文学専攻で英語の教員免許を取得し、法律とは無縁な生活を送っておりました。
ところが、卒業間近になり、世の中の仕組みについて何も知らない自分がこのまま社会に出ることに不安を覚えるとともに、理不尽な思いに苦しんでいる人たちのために何か力になれれば、という思いから、思い切って法律の分野に飛び込むことにしました。今から思えば、若さゆえの怖いもの知らずな面も多分にあったかもしれません。
【『赤毛のアン』に託したモンゴメリのメッセージ】
話は逸れますが、今年は、児童文学『赤毛のアン』出版100周年にあたるそうです。『赤毛のアン』は私の人生のバイブルであり、英文学の卒論のテーマにしたほど思い入れのある作品です。
作品のなかで、私が特に好きな箇所のひとつに、孤児だった主人公アンを引き取って育ててくれたマシューが、成長したアンに思いを告げる場面があります。アンは、農場を営む年老いたマシューに対し、自分が男の子でなかったせいで、農作業を手伝えず、楽をさせてあげられなかったことを詫びるのですが、マシューは、「わしには十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」(新潮文庫・村岡花子訳)と言います。
口数の少ないマシューが放った珠玉のセリフに、子どもながらに心打たれたことを今でも鮮明に覚えています。そして、改めて作者モンゴメリがこのセリフに込めた思いに耳を澄ませると、子どもの頃には気付かなかった新たな発見があり、作品の奥深さに驚かされます。
アンは女の子だという理由で、一度はマシューの妹マリラに引き取りを拒否されています。これは、現代よりも女性の地位が確立していなかった20世紀初頭の社会を象徴しているのでしょう。そして、モンゴメリは、マシューにこのセリフを言わせることで、人は、性差の違いの前に、同じだけ尊く、愛される命を持った存在であるというメッセージを発信していたのではないでしょうか。このメッセージは、100年経った今も重みをもって私たちに訴えかけてきます。
【素晴らしい世界が待っているはず】
私は、仕事上、日常生活で起きる様々なトラブルに接しているうえで、男女差別に限らず、他者を思いやる気持ちをどこかに置いてきてしまったところがトラブルの根底にあるのを感じます。もちろん、自戒の意味も込めてですが、モンゴメリのメッセージを受けて、すべての命あるものに対する畏敬の念を忘れず、ひとりひとりが個性を生かし笑顔で暮らしていけるような未来づくりに微力ながらも貢献していけたら、と思います。
そして、トラブルに傷ついた方々とともに、アンが素晴らしい世界が待っているはずだと言う「道の曲がり角」の向こうを目指したいと思います。未熟者ではございますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。