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2008年08月13日
子ども

「子どもの貧困」とこの国の責任 立教大学コミュニティ福祉学部教員 浅井 春夫

反貧困の大きなウェーブが起こっている。1975年以降の構造改革とくに95年からの労働法制と社会保障の改悪をともなった急激な新自由主義的改革は国民生活の「貧困」「格差拡大」「不平等」「ワーキングプア」などの「下流社会」の現実があらわになってきた。その現実は自死者が年間3万人を超えたことに象徴される98年からの統計上の悪化として目に見えるようになってきた。しかし「子どもの貧困」はまだ社会的な光が当てられているとは言えない。

生活保護世帯は1995年度では60.2万世帯(保護人員88.2万人)であったが、08年2月現在では111.8万世帯(156.0万人)であり、「構造改革」の推進のもとで確実に生活底辺層を拡大させてきたのである。そうした生活基盤の脆弱化は、子どもの生活を確実に変質させており、OECDの調査(2000年)によれば、わが国の子どもの貧困率は14.3%で明らかに増加傾向にある。人口全体の貧困率(所得分布の中央値の2分の1以下)は15.3%であり、基本的に親・保護者の生活水準に規定されているのが子どもの貧困でもある。賃金・給料が主な所得である18歳未満の子どもがいる世帯の貧困率(2002年現在)は、「夫婦と子ども」世帯では27.6%、三世代同居で20.8%、母子世帯では87.0%となっている。

子どもの貧困は、①家族の所得・生活水準に規定されており、おとな社会の格差拡大が子どもの貧困を現実のものとしており、②とくに子どもにとって教育保障は基本的人権そのものだが、教育格差は確実に広がっている。教育水準の二極化はさらにすすみ、貧困の再生産・世代間連鎖が進行しているのである。

競争のスタートラインに立つ時点ですでに格差があり、機会・チャレンジの平等においてさえ格差は歴然としている。こうした現実は③子どもの社会経験の貧困へと連動しており、そのことが子どもの「やる気」「意欲」「チャレンジ精神」を衰退させている。そうした格差の実態が子どものなかの「希望格差」となって連動している。人生はじめの時点で、生きる意欲をなくしている子どものたちの現実があることに、心を痛める感性を持ち続けたいものである。

子どもの発達の可能性とは、それぞれの時期に自らの目標を見つけてチャレンジする営みのなかにある。その根幹には子どもの自己肯定感・観をはぐくむ課題がある。自己肯定とは、自らのいいところも悪いところも含めて丸ごと自分の存在を受け容れることができることである。もう少し率直にいえば、自分を好きになることができるちからが問われている。反対の言葉は、自己嫌悪であり、自らを好きになりきれない存在であることをいう。
こうした子どもの現実のなかで「子どもの貧困」を克服したいと思うのは、子どもの顔が曇らないで、笑顔がキラキラとしてあること、いまという時代のなかで希望を持ち続けていること、そして未来についての可能性を胸に抱いていることを大切にしたいと思うからである。そのことにこの国は責任を果たすことが求められている。

※こうした現実と対応のあり方については、共編著『子どもの貧困』(明石書店、2008年4月)を、子育て論への問題提起として『ヨカッタさがしの子育て論』(草土文化、07年10月)を参照されたい。

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