DVのメカニズムを、フェミニストカウンセラーの井上摩耶子さんは「男性から女性への暴力と脅しによる支配とコントロール」と定義しています。そして暴力には、「身体的暴力・精神的暴力・経済的暴力・社会的暴力・性的暴力」があるとされていますが、私がとくに注目したいのは「経済的暴力」です。
私の経験では、井上さんが挙げておられる「家庭内の経済的暴力」の特徴に対応させて、次のとおり「企業社会の経済的暴力」の特徴を指摘することができます。
企画・立案・折衝業務からの女性の排除と、採用区分などによる賃金不払い(賃金差別)という形をとる企業社会のDVは、2つの方法で企業社会に根を張っています。男女別の雇用管理(コース別雇用管理)と、その女性の能力が低いんだ、だから評価されなくて当然だという低能力攻撃による正当化です。
ところがこの男女別の雇用管理(コース別雇用管理)について、司法はどう対応したかというと、大阪地裁は住友電工判決において「昭和40年代ころの時点でみると、高卒女子を定型的補助的業務のみに従事する社員として位置付けたことをもってしても公序良俗違反とはいえない」としました。昭和40年代から行われてきた男女別雇用管理は、原告の女性たちが定年まで、そのまま続いていても仕方がないという結論です。
つい先日の野村証券事件判決で、東京地裁は、改正均等法施行以後については、企業にこのような男女別雇用管理を改める義務を負わせました。住友電工判決よりは、一歩前進ですが、この野村判決でも、男女別雇用管理が違法になるのは、改正均等法が施行された1999年4月以降のことです。しかし、その遥か昔から、男女平等を定めた憲法14条があったはずでしょ、と私たちは言いたいのです。
民主主義の根幹を守ることが司法の役割だと私は思います。法律というのは多数者でないと決められません。多数を取らない限り、正義が通らないのが立法の世界です。これに対して、たとえ少数者であってもその1人の声に正義があれば、それを救済するのが司法の役割だと思うのです。だから法律が制定されない限り、差別をなくせないというのでは、司法の役割放棄以外の何ものでもないと、私は思うのです。
もう1つの、企業による女性への低能力攻撃についても、シャープの判決など、被告企業の主張を鵜呑みにしている状態が続いています。
私たち弁護士は、日々矛盾の中で生きています。私は、「裁判所が悪くても使わなければさびてしまうよ」「権利は使わなければ権利としては実現されないんだよ」と女性たちを励ましながら、たくさんの事件を提訴してきました。けれど、裁判所の常識はずれの認定や、勇気をふるって立ち上がったたった1人の女性を企業が総力を挙げてたたきのめそうとする、その現実の前に、次に続こうとする人に対して「がんばろうね]という気持ちがあるときは高まり、あるときは打ちのめされ、その日によって言うことが違うんじゃないかと思うくらい(笑)、悩みの連続です。でも私はやはり、どんなに傷つけられても女性たちが異議申し立てを綿々と続けてきたことによって、せめてここまで司法や社会が変わってきたのだと感じています。
私たちにとって一番大事なのは、声を上げてもいいんだという確信であり、それをどのようにして多くの女性が共有していくかが今後のカギだと考えています。
今、ある女性がDVの問題で相談に来られています。この女性はさまざまな活動をしている大阪の女性たちのリレーで、私のところまでたどり着くことができました。これからも、リレーを続けていきたいと思っております。