ここ2年ほどの間に、「成年後見制度」(「民法の一部改正」、老人虐待問題にも深く関係する)、「児童虐待の防止等に関する法律」、「ストーカー行為等の規制等に関する法律」、「配偶者からの暴力及び被害者の保護に関する法律」など、家族関係の変容に棹差す制度改革が矢継ぎ早だ。「私的領域」としての家族や親密な関係性に司法的に介入する際の基本的な考え方や介入前後の相談や支援体制が十分でないままに制度改革が行われている様子がよくわかる。
こうした変化のなかで、私は、家庭内暴力の加害者や虐待者への対策が重要だろうと思い、加害者向けのグループワークによる行動修正を試みている。基本は、刑罰による対応だ。しかし、保護命令違反で逮捕されたり、ストーキング行為で逮捕されたり、なかには脅迫の罪で逮捕されたりした加害男性は、その後どうなっているのだろうかといつも考える。抑止的効果は確かにあるが、それ以上の行動修正への働きかけが必要だと考えるからだ。子ども虐待、レイプなどの性的犯罪(非行も含めて)、セクシャルハラスメントなどの加害者たちも同じような心理的問題を根っこにもっている。逸脱行動を反復し、問題行動に依存し、自尊心の弱い自己を維持するため問題行動を必要としている加害者への対策が、新しい法律制定のたびに必要となり、課題として追加されていく。
加害者が謝罪をおこない反省し、自らの行動を変容させることは、いかにして可能なのだろうか。思うことは加害者にもまたなんらかの援助者が必要だということだ。加害者もまた沈黙のなかを生きている。多様な形態の家庭内暴力の加害者、他人を傷つけ、物を盗んだ非行少年、軍慰安所を利用し、虐殺をしたであろう元兵士たちの閉ざされた心の扉を開けるのは並大抵ではない。「どうも男性たちは反省するが悩まない傾向があるようだ」と、性暴力に取り組む弁護士さんの言葉を聞いたことがある。たしかにそうだ。まず、その瞬間を語る言葉がない。表情がない。感情がこもっていない。分析し、評論し、反省するのは上手かもしれない。しかし、そうした言葉は上滑りしている。変に饒舌なのだ。借り物の言葉と感情のような気もする。
けれども、そこにいたるまでの「脱感情作用」(暴力、非行、殺人などを行うことを可能にする麻痺状態)が「男らしさ」のなせるわざであるとすれば、こうした問題現象の背後に男性役割(男性性)が一役買っていそうだと思う。加害者を援助するということに関して、まだその術は開発されていない。援助のための思想も理念も欠如している。これからだ。
家庭内暴力の加害者たちの語りを援助していると、つらいことがたくさんある。プログラムの提供者としてではなくて、夫として、父親として、そして男性として突きつけられる問題があるからだ。暴力へと駆り立てる「男らしさ」がそこに垣間見えるのだ。これらは多くの男が生きている現実でもある。それは暴力を問い糺す側にも諸刃の剣となってつきささる。
人間の歴史は暴力との闘いの歴史でもあるので、悩みはつきない。しかし、暴力のない社会をめざして動きだす人々がいることに元気をもらうことも多い。この法律事務所の開設もまた私の元気の源となった。
中村 正(なかむらただし)
立命館大学大学院応用人間科学研究科助教授。臨床社会学を専攻。
加害者対策をすすめる「メンズサポートルーム」主宰。