【DV虐待の被害親子に起こること】
面会交流の問題は、夫婦が離婚しても子どもが成人するまで、向き合わなければならない問題だ。今受任している離婚事件の依頼者の方でも、面会交流の話をすると、「子どもが成人するまでというとあと〇年ですね…」と、離婚しても相手方と子どもを通じてかかわらないといけない現実に絶望する人が少なくない。
裁判所の調停手続で、面会交流に対し拒否的な態度を見せると、調停委員からは「面会交流は子どもの権利でもある。」「お父さんとお母さんが別れても双方の親から愛されて子どもが育つことは重要。」と語られる。私自身、面会交流を求める立場で代理人としての活動をすることもあり、面会交流の意義を否定するつもりはない。しかし、全てのケースで面会交流を行うことが子どもの福祉に沿うとは思わないし、特に、DVのケースで、暴力を受けた側の気持ちを無視して面会交流の必要性を説かれることには違和感を抱く。
「特別な事情がない限り面会交流を認めるべきである」という裁判所の面会交流原則実施の姿勢に対し、長谷川京子「面会交流原則実施により、DV虐待の被害親子に起こること」(戸籍時報733号・17頁)では、「例外事由は立証に成功しない限り『ない』こととして扱われる。そして、DV虐待の事実を証明することは難しい。」「身体的暴力以外は第三者には見えにくく、日常生活の中で不意に起こるDV虐待の証拠を加害者の支配下にあって残すことは極めて難しい。DV加害者は、自己の暴力を否認し過小評価するから自白すれば不利になる裁判で、証拠のない暴力加害を認めることは少ない。」と書かれている。そして、DVケースで面会交流を命ずることで、子がトラウマ記憶の反復を強制されること、また、監護親のこころとからだの不全を悪化させ、監護の質を害してしまう危険性にも言及がなされている。
【子どもの福祉に沿う面会交流とは】
私は、過去に非監護親が面会交流を求めることを禁止するという審判をもらった経験がある。そのケースでは、子どもが中学生以上の年齢で、自分の意思を調査官に伝え、子の意思を尊重してもらうことができた。また、調査官の調査で非監護親自身が、自分が面会交流を求めることで監護親を懲らしめることができると話していた。
しかし、実際は、DV加害者である非監護親がそこまで本心を吐露することは少なく、DVの立証に成功しない、あるいは、成功したとしても子への危険は抽象的な危険に過ぎないと一蹴されてしまうことが大半である。過去に試行的面会交流を拒否していた子に対し、監護親がとにかく裁判所に行って調査官にお話ししようと言って、子を裁判所に連れてきたことがあった。その子は、試行的面会交流が始まる前に、自分は非監護親と会いたくないことを述べたが、調査官はその気持ちに配慮せず、強引に試行的面会交流を開始した。その子は試行的面会交流の間中、怒っており、今でも試行的面会交流の話をすると調査官への怒りの気持ちを露わにするという。
本当に子どもの福祉に沿う面会交流とは何なのか今一度、考えなければならないと思う。