不幸になるのはその人に原因があるから?
現代のインターネット社会では、個人が不特定多数の人に向けて手軽に発信できる手段が発達していることから、犯罪をはじめ、社会で起きる様々な事象に対し、実に多様な意見表明がなされています。
匿名で深く考えもせず発信できる手軽さからか、その「意見」表明が社会的に差別・偏見を受けている人や受けやすい人、犯罪被害に遭った人等に対する、度を超した非難(バッシング)となる現象が起きています。
こうした「バッシング」現象がなぜ目立つようになったのかを法律以外の観点から、つまり、心理学や社会学の専門家の意見や示唆も得て考えようという企画の研修会に参加しました。
はじめに「バッシング」の対象とされた「性犯罪被害者」「女性」「民族的マイノリティー」「LGBT、性的少数者」「障害者」について事例報告がありました。性犯罪の被害に遭ったことを訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんのケースや、渋谷のハロウィンで痴漢や盗撮の被害に遭った人たちがバッシングされた事実。
性的ハラスメントについては男性よりも女性の方が被害者に対して厳しい目を向けているという調査結果は衝撃的でした。
次に、心理学の立場から基調報告をされた小俣謙二駿河台大学教授は、被害者に対する偏見と非難が犯罪被害者支援を妨げることを、性犯罪被害者へのバッシングの例を挙げて説明されました。
小俣教授は、同情されるはずの性犯罪被害者がなぜ非難されるのか、要因の1つとして、「良い行いをすれば必ず報酬を受け、悪い行いをすれば必ず罰を受ける、不幸なことが起きるのは、その人に不幸を受けるに値する『何か』があるからだと強く信じること(これを「正当世界信念」と呼ぶ)」を挙げました。
この信念の背景には、ものごとがランダムに起きるような予測不能な状況は人を不安に陥れ、そこから逃れるために、早い回答や説明を求めるという心理があります。
「自分は違う」からバッシングする
2つ目の要因として、いわゆる「レイプ神話」の受容があります。
「レイプ神話」とは、性犯罪に関する誤った情報や性に関する歪んだ認識であるにもかかわらず、なぜか広く社会に受け入れられてしまっていることがらを指すものです。
たとえば、女性は強引なセックスをする男性に強い憧れを抱いている、多くの女性は無意識に強姦されることを望んでおり、無意識のうちに強姦されやすい状態を自ら作っているなどの認識。
強姦するのは変質者であり、被害者の知らない赤の他人が多いといった加害者像。
おとなしく地味な女性が強姦の被害に遭うことは少ない、男性の部屋に2人で入った女性は性的関係を望んでいるというような被害者像。
こうした「レイプ神話」の背景には、男は仕事・女は家事育児、男はリーダーシップを取り女はかわいらしく従順であるべしという「伝統的性役割観」や、被害を受けた人には受けるに値する何らかの落ち度があったに違いないという「正当世界信念」があるということも指摘されました。
日本社会に今なお根強い性別役割分担意識が、ここにも顔を出しているのかと暗澹たる気持ちになります。
3つ目の要因は、もし自分が被害者と類似した状況に置かれたとしても、自分なら危険を回避できると考え易いことです。
自分の信念と矛盾する事象が起きると、それまでの信念を変えるか、その事象を否定するか、信念に合うように解釈する。
その際、人はやりやすい方を取りがちなため、安易でわかりやすく、社会的通念と一致するかたちで解釈し、自分はふしだらな女性やLGBTの人、障害者とは違うと考えて攻撃に走るのです。
また、被害者に対する非難や心ない言葉(二次被害)を口にするのは、近所の人、身近な人、司法関係者(警察官・検察官・裁判官・弁護士)で、意外にも司法関係者である弁護士の比率が高いという調査結果を聞きました。
このことは、視野を広げる良い機会となりました。
加害者を弁護する立場にある人に対しては、「誤った性犯罪観」を持っていないかを自らに問いかけて欲しいと述べられていたことも印象に残りました。
「伝統的性別役割意識は個々人がその価値観として有するのは自由だけれども、性的自由や性的指向の自由の侵害は許されない」「特定の性的指向を持つことと性被害に遭うことは別問題である」といったお話を聴いて思ったのは、私自身も、知らず知らず伝統的性役割観を引きずっていて、心のどこかに「正当世界信念」なるものを飼っているかもしれないということでした。
そうは言っても、弱っている人や理不尽な目に遭って傷ついている人を支えようという優しい気持ちでつながり合うことも、まだまだできるはずで、そこに希望を見いだしたいと思っています。