生きる力を持った子どもの「居場所」のあり方は、出会った子どもの生きること自体へのニーズに子どもの安心と最善の利益を考え応えて行くことから生まれたもの。釜ヶ崎の子どもたち自身が創り出したもの。
「こどもの里」には、0歳~18歳の児童だけでなく「こどもの里」を卒業した大人たちもやって来る。そこには、赤ちゃんの世話をする小、中、高生がいる。オムツを変える子、泣きじゃくる赤ちゃんを抱っこしてあやす子、笑わせている子、ごはんを食べさせている子がいる。障がいのある子の顔を拭いている子がいる。「こどもの里」で子育てを経験している。みんなのために包丁を持ち、野菜を切って料理する幼児、小、中、高生がいる。みんなで一諸にご飯を食べる。けんかしながら、汗かきながら、他の学校の友だちと遊ぶ子どもたち、幼児が遊ぶ側で、気を遣いながらボール遊びをする子がいる。小学生の勉強をみている中、高生。手話で話し合っている子がいる。社会を学ぶ学習会に真剣に取り組む子どもたちもいる。おにぎりを握り、野宿する人たちを訪問し「体大丈夫ですか?」と声をかける子どもたち、「ありがとうね」との言葉に自信を息吹かしている子どもたちがいる。貧困の中、学校や家庭や社会がしんどくなって、傷ついた心を休めている子がいる。寂しくって泣きに来る子。誰かに聴いてもらいたくて、誰かに喋りたくて来る子がいる。
みんな親から行けと言われて来ているのではない。子どもたち自身が自分から選んできている。多様性が子どもたちの心身の育ちを豊かなものにし、自己肯定感を育んでいるからだ。「こどもの里」はそんな子どもたちが過ごすことのできる「子どもの居場所・空間・溜まり場」。
子どもたちは生まれてくる環境、家庭を選べない。しんどさを背負わされて生きる子に責任はない。離婚や貧困はどの地域でも珍しくない。学校ではなじめない子、外国人の子、新しい”父“と合わない子、精神疾患やギャンブル依存症を抱え子どもの世話が出来ない親の元で生きる子、薬物依存や性暴力など親から逃げてくる子、借金や暴力から逃げてくる子、様々な境遇の子どもたちに「居場所」を作る必要性は明白だ。
「居場所」の保障は、子どもの未来の保障にも繋がる。「こどもの里」は、小学生だけでなく就学前の乳幼児から中高生、また18歳を超えた青年たちまで、障がいの有無や学力や年齢を一切問わず、多様な子どもやおとなに出会い、豊かな人間性や社会性を育むことの出来る「遊び場」である。幼い子ども、交流を持つのが難しい子ども、はみ出しがちな子どもたちもが折々濃淡のある接触をも継続しながら、それらの経験が総体として抱えられ続けるという、やわらかい構造がそこにある。それは人のどのようなあり方もあらかたOKだという自他への信頼を生み出す作用を果たす構造でもある。言葉を換えれば、自分の存在を認め受け入れてくれる場で、「ありのままの自分でいい」と自己を受け入れられる場である。
そして、子ども自らが自分の意思で足を運べる、地域に開かれた「居場所」は、地域に開かれていることにより、子どもたちの親も子育てのしんどさの羽休めに来る。「ご飯お願い」「今晩手をあげてしまいそう。子どもをみて」と、SOSを出す親。親子関係の「修復の場」・「相談の場」にもなる。地域に潜在する虐待及び貧困・困難のリスクの高い要保護・要支援児童及び要保護・要支援家庭を支える「居場所」になる。おやつや食事をともにしたり、宿題をしたり、日々の出来事や悩みを話せる「生活の場」であり、家庭にも学校にも行き場のない生きる困難を抱えた要支援・要保護児童にとっては「最後の砦(セーフティネット)」になる。
子どもの居場所「こどもの里」は小さな一つの建物だが、その中で、貧困と虐待の第1次予防となる遊び場・行き場・休息の場。第2次予防となる生活及び子育て相談の場とその対策としての緊急一時宿泊の場。第3次予防となる子どもの長期保護生活の場、社会的養護の場のファミリーホームを兼ね備える「貧困対策と虐待防止と子育ち・子育て支援」の拠点でもある。つまり、子ども版の地域包摂支援センターなのである。
留守家庭児童対策事業「学童保育」や児童いきいき放課後事業は、あくまで大人側からの施策である。子ども中心に考えられている事業ではない。提供者中心の公益サービスの視点からの支援策でなく、「子どもが主人公」とする利用者中心の視点を持つ地域を基盤とした民間の力と協働して、「子どもの最善の利益」を問いながら、子どものライフステージに即した開放性と即座性のある切れ目のない包摂的支援の出来る「こどもの里」の取り組みをモデルとした「子どもの居場所」を全中学校区に一箇所設置することを提案する。児童相談所を増設するのではなく、日本中に子どもの「いのち」をど真ン中に置き、子どもの声を聴いて、「子どもの最善の利益」を考える居場所が拡がればと願う。