先日、街頭で防空頭巾を被り空襲被害者救済法案の成立を訴えている人の写真付き新聞記事が目にとまりました。東京大空襲で家族を失った遺族が、空襲被害補償の立法化を求めて、2019年4月から国会会期中の毎週木曜に東京永田町の衆議院議員会館前に立ち続ける「こんにちは活動」を報じたものです。
取材を受けた85歳の女性の、「今のガザやウクライナで起きている戦争は、79年前の東京です」という言葉が心に刺さりました。
第2次世界大戦末期の1945年3月10日、米軍が300機以上のB29爆撃機で東京の下町、隅田川沿岸を中心に無差別攻撃をしかけた東京大空襲。罹災者は100万人を超え、およそ10万人が焼殺されたと言われています。これ以降、大都市への無差別爆撃が本格化し、3月12日に名古屋、13日に大阪、17日には神戸が甚大な被害を受けました。
第2次世界大戦下の日本は、敗戦までは「戦時災害保護法」が軍人・軍属だけでなく、民間人にも適用されていましたが、戦後GHQの方針で同法は廃止されました。その後政府は、サンフランシスコ講和条約発効後の1952年以降、元軍人・軍属や遺族への補償や援護制度を復活させたものの、民間人対象の「戦時災害保護法」については、国と雇用関係になかった等の理由で復活させませんでした。
その結果、軍人・軍属には恩給が、その遺族には年金が支払われ、さらに継承者にも弔慰金が支払われているにもかかわらず、民間の空襲被害者には、国から今も全く救済措置がなされないまま放置されています。
この問題は、国会でも取り上げられ、民間人を救済する「戦時災害援護法案」が野党によって提出されましたが、与党・自民党の合意がなく廃案になってきました。
そこで、東京大空襲、大阪大空襲の被害者らは国に謝罪と損害賠償を求めて裁判を起こしました。しかし、いずれも2013年、2014年と続けて最高裁で敗訴が確定しました。判決は、原告の被害を認めるものの、結論は、「国会がさまざまな政治的配慮に基づき、立法を通じて解決すべき問題」であるという「立法裁量論」や、「戦争という国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民は等しく耐えなければならない」とする「戦争被害受忍論」によって、原告の請求を退けるものでした。
2021年3月には、被害者遺族が発起人となり、新たに空襲犠牲者の追悼式が東京都内で開かれたそうです。「ひとくくりに犠牲者10万人とするのではなく、一人一人の人生があったことを知ってほしい」「空襲被害者に謝罪と補償をしてください。そして再び戦争をしない、させないと誓ってください」との遺族の言葉には、ウクライナやガザで命や家を奪われた市民や子ども達に自分や自分の家族を重ねた切実な思いがこめられています。
空襲被害は遠い昔のことではなく、今も現に起きています。戦争になれば、多くの民間人が巻き込まれることを、私たちは、ウクライナやガザの報道から知ることができます。日米同盟の強化や防衛予算増など、政府は戦争への備えを強化する一方で、前の戦争での民間人の空襲被害は放置したままです。国がこんな態度でいるかぎり、私達が黙っていると、日本でも今後空襲被害が起こるかもしれません。
次世代の人々には、私達に保障されている基本的人権は、かつて戦争で奪われた幾多の命の犠牲の上にあること、戦争は「人殺し」そのものであり、地球環境破壊の最たるものであること、そこへ向かおうとする動きにはきっぱり反対すべきことを繰り返し伝えていくことが大切だと思います。