2011年7月、最高裁は、千葉市で起きたある強かん事件(第一審・控訴審ともに有罪)について、逆転無罪判決を出しました。その2年前にも、都内で起きなある痴漢事件に関する裁判で逆転無罪判決を出していますので、これは性犯罪に問する2度目の逆転判決です。それだけにこの判決が今後の判例となることを恐れます。確たる根拠の下に無罪判決が出たのなら、それはいかんともし難いと言えますが、しかしむしろこの判決の根拠は極めて薄弱です。
これまで、アメリカではもちろん日本でも、性犯罪の遂行様態modus operandiについての研究はあるていど行われてきましたし、近年は少なくない被害者が、被害事実を積極的に語るようにさえなっています。それらに関する知見を前提すれば、最高裁判決はあまりに無謀です。最高裁は、女性が周囲の人に助けを求めなかったし逃げようともしなかった、女性は被害を受けたと言い立てているのに屋内に精液が発見されなかったし周辺に傷もついていなかった等々の理由をあげて、女性の供述は信用できない、という結論を出したのです。
しかし、この判決を下した裁判官(多数意見は4人中3人)は、性犯罪についてほとんどまともな知識がありません。女性が助けを求められないこともあれば、逃げられないこともあるのは、性犯罪に関する研究者にとっては常識以前の事柄です。屋内に精液が残らないことがある点も、もちろん周辺に傷がつかないことがある点も、広く知られています。
にもかかわらず、多数意見に組した裁判官は、「経験則」なる言葉を出しつつ、ごく狭い自分の経験・印象を最優先し、かつ女性の経験を知ることもなければ、私たち研究者の提出する知見を一切援用することもなく、第一審・控訴審の有罪判決を覆しさえしたのです。2011年の最高裁判決は、ほとんど前代未聞とさえ言える無謀な判決です(詳しくは拙編著をご覧ください)。
ところで、これだけ多くの問題をはらんでいるにも関わらず、私が知る限り、ほとんどその無謀さが満足に問題にされなかったという事実は、それ自体、驚くべきことです。なるほど判決が出された直後に「アジア女性資料センター」が最高裁に抗議文を送ったという事実もあれば、ジェンダー法学会で一定の検討が行われたという情報もあります。大阪弁護士会人権擁護委員会も、2012年秋に、関連シンポジウムを開きました。けれども、それ以外に目立った動きがありません。
むしろ、逆の動きさえめだちます。近年、「冤罪」がしばしば問題にされてきました,今回の判決はもっぱらその延長上で論じられ、判決に潜む問題性は満足に問われていません。それは弁護士会で顕著であるように思えます。少なくとも日弁連で見る限り、千葉での事件を「冤罪事件」として扱う姿勢に貫かれています。弁護士としての職務上、それは致し方ないと言えなくもありません。しかし、無条件でそうした姿勢に立つようだと、弁護士はいつになっても性犯罪についてまともな理解に到達できません。
なるほど過日、日弁連「両性の平等に関する委員会」が判決を問題にする学習会を関きました。私はそこに呼ばれて最高裁判決の問題点について詳しく話してきましたが、日弁連自体が同判決を「冤罪」問題との関連でしかとらえず、男女の本質的な平等の追求・性犯罪をなくそうとする各種努力との関わりで判決を相対化して見る視点を持たないという現実を、学習会での討論を通じて垣間見ました。
これは、日弁連に女性弁護士があまりに少ないという現実も関係しているのでしょうか。女性弁護士も、もちろん一枚岩ではありません。しかし、女性が全弁護士の中で少数であるという現実(日弁連の役員を見る限り、女性の声が十分に反映される体制になっているとは思えません)は、多かれ少なかれ今日の状況を形作る要因になっているように思われます。
最高裁による逆転判決の無謀さは常に問題にされなければなりませんが、同時にジェンダー平等を志向する運動や思潮を日弁連内で発展させる努力が、追求されなければならないように思います。