【女性ディレクターの質問への対応】
大阪では、昨年秋の府知事選挙・大阪市長選挙において、大阪維新の会を率いる橋下徹氏が大阪市長となり、同じ維新の会の松井一郎氏が知事となりました。マスコミの多くは橋下氏と維新の会を持ち上げ、彼の発言や考え方、やり方に異を唱える人は、激しく攻撃されるという憂うべき風潮があります。
橋下市長は、大阪の某府立学校の校長が卒業式で「君が代」を歌っているかどうか、教師の口元をチェックしていたことを、管理者として適切であったと褒め称えました。他方、毎日放送が大阪の府立高校の校長に対して行った「君が代の起立斉唱」アンケートの結果では、校長による教員への「口元チェック」は「やりすぎ」だと答えた校長が多数にのぼったといいます。このことについて、毎日放送のある女性ディレクターが橋下市長の囲み取材のなかで、橋下市長に「起立と斉唱は一律のものととらえるのですか?」等の質問をしたところ、彼はそれには答えず、「起立斉唱命令は誰が誰に出したんですか?」と逆質問をし始め、その後、「こんな記者がいるからダメなんだよ」「われわれは、どの法律学者でも崩せない緻密な理論に基づいて条例を作っているんだ!」「どの国にも国歌がある。あなたの会社には社歌がないのか。社歌がないから、おかしい記者が出てくる。」等、延々と女性ディレクターを罵倒し続けました。それでも言い足りないのか、インターネットを通じてこのときの動画を自信たっぷりに紹介し、なおも彼女を侮辱しました。
この動画、私もユーチューブで観ました。橋下市長の言動は、普段私たちが接するDV事件の加害者とよく似ています。DVの加害者は、自分か正しいと言い張り、自分に都合の悪いこと(暴力を振るった事実)は無かったことにし、自分の意に添わないことを言われると、その相手を情け容赦なく攻撃する傾向があるからです。この囲み取材の時も、橋下市長は、相手の質問に答えることなく、自分の質問をぶつけてこれに答えなければ何も始まらないというふうに煙に巻いて相手を威圧し、徹底的に攻撃し、自分の正当性を誇示していました。
【言葉の暴力にひるまないで】
「教育を大切に」とか「大阪の子どもの学力を底上げしよう」という橋下市長の目指すところは、それ自体としてはもっともなことです。異を唱える人はまずいないでしょう。けれども、「教育」とは何か、子どもをどのような存在としてとらえ、育んでいくのか、未来を担う子ども達にどのような環境を提供すれば良いかについては、私たちひとりひとりが考え、意見を交換しあえる場が必要です。
自分とは違う感じ方や考えを持つ人を敵視したり、排除したりするのではなく、なぜ違うのか、理解し合って折り合いのつくところはないかと探求してゆく過程をもっと大切にすべきだし、その姿を子どもたちにも示していくことが、私たち大人の責任でもあると思います。
そうすると、橋下市長のくだんの囲み取材でのひとこまは、胸を張って子ども達に見せられるものではありません。女性ディレクターがひとり罵倒されているところを黙って見ていた他の記者の方たちは、あの場にどんな気持ちでいたのだろうかと思います。
インターネットで自分の気持ちや考えを発信し、情報を共有したり、共通の話題や意見をもつ人同士が広くつながりあえるようになりました。その反面、ネット上で、自分と違う考えの人や、自分の感性では受け入れがたいと思えるような人に対しては、情け容赦なく攻撃的なことばを浴びせかける人たちもいます。けれども、そういう人たちの言葉の暴力にひるむことなく、これからもおかしいと思うことに対しては「おかしいぞ」と声をあげることが大切です。やさしく思いやりに満ちた言葉や態度で、互いに支え合える関係をねばり強く築いていきたいものです。