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ニュースレター

2012年01月30日
性差別・ジェンダー世界の女性

リレーエッセイ テレーズ アジア太平洋人権情報センター所長 白石理

【韓国を視察して テレーズ】

もう4年以上前になる。あるニュースレターに、私自身の子育て経験を寄稿した。国連で働きながら、妻の当然の期待に四苦八苦の奮戦記録のようなものであった。それを読んだ私の幼なじみの医師が、「あなたの奥さんはスカンジナビアの女性のような人ですね。あなた自身が選んだ生き方だから同情はしません。」と言われた。この医師ははっきりものを言う女性である。

私が寄稿したその拙文の中につぎのような-節がある。「また時がたって、2005年の春、いよいよ後数ヶ月で定年退職というとき、最後の仕事で一人の職員採用に関わった。スウェーデンの若い女性を採用した。双子を含む3人の幼い子がいるとのこと。この新人職員と一緒にお茶を飲む機会があった。夫は学校の教師、2年間休職してジュネーブに家族一緒に来たこと、夫が家事と子どもの世話をすること、二年たったら次は、彼女が休職して、夫が復職するつもりであることなどを話していた。」

今年(2011年)のはじめ、ジュネーブの家族のところに2週間戻ったときのこと。私の元の職場、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)を訪ねた。エレべ-ターに乗ってそこにいた女性職員と目が合った。まるで旧知の同僚に出会ったように、にこやかに微笑むその女性に一瞬戸惑った。
「私のことをお忘れですか。あなたに採用を決めていただいたテレーズです。」「あっ、ごめんなさい。やっと思い出しました。お元気ですか。3人のお子さんたちは元気に育っていますか。」

「はい。でも3人ではありません。今は5人の子がいます。一度スウェ-デンに戻って、最近またこの事務所にきました。」
短い会話であったが、生き生きと幸せそうな様子が私の心に残った。

今の日本には「男女共同参画」ということばがある。官製のことばであるという。分りにくいことばではあるが、私なりの解釈をしてみる。要するにそれは、性別による役割分担ではなく、社会でそして家庭で、男女の実質的平等を実現し、互いに協力し合うということではないか。英語ではジェンダー・イクォアリティ(Senderequality)というのがこれにあたるのであろうか。

仕事は男性の世界、女性は家事と子育てという時代は変わりつつある。国によって程度の差はあるが、世界の流れは社会のあらゆる次元での男女平等実現に向かっているといえる。本来、女性も男性もそれぞれ自分なりの生き方を選ぶことが出来る。これは人権である。自分の資質や能力を生かして自分にとっての幸せを見つけたいというのはあたりまえのことではないか。

実際はどうか。女性の社会進出が、男性中心の職場に改革をもたらし、女性の専門職や管理職が特別のことではない環境をつくり、家庭や子育てに責任を持つ男性を増やすことに、どのようにつながっているのか。

ここで私が気になることがある。「働く母親のために保育園の時間を延長する」と聞くことがある。このような計らいが、女性の社会進出のためになることと思われているようである。確かに切羽詰まった現実への対策かもしれない。しかしこれは、「働く父頬」の課題でもある子育ての問題である。父親はどこにいるのか、見えてこない。

職場は女性にとって働きやすいものでなければ、一人ひとりの女性の持つ能力が十分に発揮されることは難しく、いつまでも男女の実質的平等は実現されない。女性にとって働きやすい職場は、本当は、男性にとっても働きやすい職場のはずである。このように、それぞれ自分たちが置かれている生活環境、仕事の環境でこれまで疑問を差し挟まなかったことが、実は「あたりまえ」ではないと気づかされる。「男女共同参画」がこの気づきのきっかけを作っていることを願う。

テレーズの話は国連の職場の話であり、スウェーデンの仕事の制度の話である。地球の反対側の別世界。こんなのはタメ、日本のモデルにはなりえないと言われるかもしれない。かつて「あなたの奥さんはスカンジナビアの女性のような人ですね」と言われたように。

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