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2011年01月30日
性差別・ジェンダー

『政治思想のなかの女—–その西洋的伝統』に寄せて ス立命館大学政策科学部教員 重森 臣広

この本の翻訳出版企画がもちあがったのは、5年ほど前だったか。私と共訳者である田林葉さんが参加する大学院のゼミナールで、この本の原著(Susan Moller Okin, Women in Political Thought)の輪読をはじめたのがきっかけだった。原著の初版が出版されたのは1979年で、同じ年に日本でも水田珠江さんの『女性解放思想史』(筑摩書房)が出版されている。これ以後、哲学思想研究の分野にも「フェミニストの視点」が浸透しはじめ、豊かな研究成果を生み出すことになる。オーキンのこの本も、水田さんの著書も、女性の解放と抑圧が過去の哲学思想のなかでどのように語られてきたのかを読み解く研究の草分け的存在だ。「フェミニズム」の語が、日本の新聞の記事や論説にも登場しはじめ、「フェミニズム」が単なる「女権論」を越えて、女性の解放を人間の解放へ連鎖させる視点を含意するようになっていったのも、ちょうどこの頃ではなかったかと思う。

プラトン、アリストテレス、ルソー、J.S.ミルなどヨーロッパの代表的な哲学者たちのテキストを丹念に追跡しながら明らかにされるのは、「産む性」としての女の自然的事実が社会によってつくりだされたにすぎない差別や抑圧とないまぜにされて、女の男にたいする従属を正当化する奇怪な「女の自然」観である。「産む性」であるという事実が、教育・婚姻・家庭・職業といった人生のありとあらゆる場面で不自然に増幅させられ、「従属する性」の物語が捏造されていく経緯が明らかにされている。

翻訳作業を通じていろいろ考えさせられることも多かった。長い間、ヨーロッパ思想史を研究してきたが、いまさらながらに驚かされたのは著者であるオーキンさんのモチーフの強さだ。哲学思想を読むことを「仕事」にしていると、いつの間にか過去の思想家たちのテキストを歴史的文書とみなしてしまいがちだ。もっぱら女を「従属する性」として描き出そうとするグロテスクな「女の自然」観の真相を明らかにしたい…そういった強いモチーフをもつオーキンさんが偉大な哲学者たちのテキストを読むとき、それはあたかも哲学者たちとの「格闘」のようである。この本の初版が出た1979年、私はまだ大学生だったが、あの頃、たしかに自分もそんな読み方をしていたのではなかったかと思う。

オーキンさんのこの「格闘」は、自分自身との「格闘」でもあったではないかとも思う。1992年に、この本の原著の増補版が出ている。オーキンさんは増補版で「あとがき」を追加した。実はこの「あとがき」は、この本の他のどの章よりも長い。そこでは、この本の初版が出た1979年以後のフェミニスト運動、フェミニスト理論が総括され、フェミニズムがすぐれた学知を生み出し続けていることが評価される一方で、社会実践のなかになお残存する「従属する性」としての「女の自然」観を、フェミニスト運動が突き崩すにはいたっていない現実にたいする憂慮が表明されている。それは大学を職場とし、理論構築を生業とする研究者による自分自身との「格闘」のようでもある。

捏造された「女の自然」観…こう書くのはたやすい。あるいはオーキンさんの理論を理解するのもそうむずかしくはない。けれども、「お前の生活実践にその理論はどれだけ根をおろしているのか」と自問したとき、返答に窮することが多い。翻訳が出版されたので、今年度の大学院の授業でこの本をテキストにして輪読をしてみた。30名ほどのクラスで、半数以上が女子学生。それぞれの思想家について簡単な解説をしながら、この本の論点についてディスカッションをしてみた。若い世代ならではの新鮮で、リアルな論点が次々に提起される。どれもこれも、理論的な争点であるよりは、生活実践の問題そのものである。どうも具合が悪い。すでに50歳を過ぎた「おっさん」は、上手に答えられなかったり、議論から取り残されたり。政治思想は、あまり現実の社会実践や生活実践には関係なさそうな分野で、どうみても地味な学問分野だ。なのに、こんなにも活き活きとした議論ができるとは。これもオーキンさんのモチーフの強さによるのだろう。大学教師として、よい経験をさせてもらったとつくづく思う。


『政治思想のなかの女――その西洋的伝統』は、晃洋書房、2010年5月発売、3300円。スーザン・モラー・オーキン著、田林葉・重森臣広訳

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