【「雇い止め」で館長職から放逐された三井さん】
「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は、控訴人に対し、金150万円及び……支払い済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え」
本年3月30日午前11時。大阪高裁の塩月秀平裁判長は、こう判決主文を読み上げて、すぐに法廷を後にした。一瞬の静寂の後、私たち弁護団と原告の三井マリ子さんは、抱き合って逆転勝訴を喜んだ。
私の脳裏には、初めて三井さんから相談を受けた時のことが、鮮やかに蘇ってきた。2004年1月12日、この日は忘れもしない住友電工男女賃金差別事件・勝利和解の報告集会日だった。開催した場所は、豊中市の男女共同参画センター「すてっぷ」。
集会の後で、当時「すてっぷ」の館長だった三井さんが、自らの身辺に起きている異常な事態を私に訴えた。聞けば、男女平等の推進に反対するバックラッシュ勢力が、三井さんが「すてっぷ」の館長であることを問題にし、豊中市を様々なやり方で攻撃してきたという。そして豊中市は、そんな攻撃に毅然と対峙するどころか、バックラッシュ勢力に屈服して、三井さんには何の相談もすることなく、「すてっぷ」から排除する方策を画策しているという。
三井さんは、館長であっても非常勤であったから、1年の有期契約である。契約期間は、3度にわたって更新されてきたが2004年3月末が期限となっている。この緊急事態の中で、私は引き続いて三井さんの相談にあずかることになる。
その後、豊中市が、組織変更によって非常勤館長をなくす一方で、常勤の館長を置く方針であることがわかると、三井さんは、この常勤館長のポストに応募する途を選ぶ。しかし、豊中市は、すでに別の人物に「三井さんは館長をやめることを承知している」と嘘までついて、常勤館長への就任を承諾させていた。そして選考委員会での面接という形式はとられたものの、三井さんは不採用となり、3月末の「雇い止め」で「すてっぷ」から放逐された。
女性が人間として尊厳を持って扱われることを、これまでの人生のなかで追及し続けてきた三井さんにとって、自らに振りかかったこの人権侵害と闘わずして「すてっぷ」を去ることは到底できないことだろうと、私は、三井さんの胸中を察した。そして代理人として三井さんを支えていこうと決意した。さらに私と志を同じくしてくれる弁護士を募り、強力な弁護団も結成することができた。
【求められるのは行政の姿勢の真の転換】
一審判決は、豊中市のやり方を、「公正さに疑念を抱かせる事情といわざるを得ない」と認定しながら、「本件不採用において、原告に対し慰謝料を支払わないといけない程度の違法性があったと認めることはできない」とした。
今回の控訴審判決も、不採用の違法性は認めなかったが、豊中市の職員が、三井さんを次期館長に就任させないとの意図のもとに、三井さんに何らに説明もないまま常勤館長職体制への移行に向けて動き、さらには「三井さんは辞めることを承諾している」と嘘までついて、別の人物に常勤館長の候補者となることを承諾させたと認定した。そしてこの一連の動きを、三井さんの人格を侮辱したものであって、その人格的な利益を侵害したとして、慰謝料100万円と弁護士費用50万円の支払いを命じたのだ。
控訴審判決は、一審判決と異なり、バックラッシュ勢力の不当な攻撃の意図が明らかな数々の事実を丁寧に認定してくれた。このことが、人格権侵害という評価の土台になったのだと思う。
それにしても豊中市は、まだバックラッシュ勢力が怖いのだろうか。控訴審判決に服することなく、最高裁への上告の手続きをとった。控訴審判決が明らかにした行政の実態と違法性を、多くの市民が共有することによってこそ、行政の姿勢の真の転換を図ることができるのだと思う。その日が来ることを願わずにはおれない。