性被害、犯罪被害、児童虐待、自然災害。そのようなものに見舞われたとき、人は心傷つきます。それが心的外傷(トラウマ)です。
トラウマは、人の心に不信感を植え付けます。私たちの住む世界は危険に満ちているという「世界に対する不信感」、他人は冷徹で残忍なものであるという「人間に対する不信感」、そして自分は無カで生きている価値のない人間だという「自分自身に対する不信感」です。
その結果、被害者は、人から社会から「離断」されてしまいます(ハーマン『心的外傷と回復』中井久夫訳、みすず書房)。それゆえトラウマはおそろしいのです。
私たち治療者の役割は、被害者がそういった離断状況からもういちど人と人との絆の中へ帰還するのを援助することにあります。
さて先日、私の尊敬する先輩医師が次のような一言をもらしました:
こういう仕事(犯罪被害者支援)をしていると、加害者側の人間には会えない。加害者の精神鑑定をすることでさえ、加害者の味方をしたように受け取られてしまう。ましてや、触法精神障害の治療とか精神障害者の人権を守る運動などにはとうてい加われないと。これを聞いたとき、正直言ってとてもショックでした。本来二犯罪被害者や犯罪被害者遺族の人権を擁護しケアすることと精神障害者の人権を擁護しケアすることは、決して二律背反的なものではないはずです。にもかかわらず、理不尽な被害をこうむった犯罪被害者・遺族の中には加害者が精神障害者であった人がいるということにより、今日この二つの問題はリンクされてしまっているのです。
その挙句に今日の治療者は、専ら被害者のケアにあたる者と専ら精神障害者の権利擁護を叫ぶ者とに分かれてゆきつつあります。実際、犯罪被害者支援にかかわっている精神科医と精神障害者の人権擁護運動に携わっている精神科医との間に重複はほとんどありません。(おっちょこちょいの私のほか、ほんとうに真撃な医師が数人いるのみです。)
われわれの臨床現場には、精神障害者は加害者であるよりもより多く被害者としてあらわれます。この社会では、精神障害者は差別や虐待を受けやすいのです。つまり、多くの精神障害者は決して加害者予備軍などではなく、実は被害者予備軍なのです。
トラウマをこうむることで被害者が社会から離断されるように、今日トラウマに関わることで治療者も分断されつつあるように思われます。
このままでよいわけがありません。どうやらここが踏ん張りどころのようです。連帯と統合へ向けての。