僕はシングル単位論を1990年初頭から主張してきた。その発想の背景には、僕の強烈な失恋体験があった。具体的には、僕は大好きで一生いっしょにいると思っていた人にフラれた体験でかなリダメージを受け、愛とかパートナー関係というものを根源的に考えるようになった。恋人がいないという状況を「つらい」と思うことの裏には、「恋人(家族)がいてこそ完全な幸せなのだ」というイメージがあることに気づいて、そこからそうした「カップル・家族」を単位と考える意識と制度のおかしさに気づいていった。もてない人や離婚者はどうしたらいいのか。形式的に家族という形があればいいというのか。そうして年功賃金制度や結婚制度になんの躊躇もなく乗っかっていることへの反省がないのは、少し鈍感じゃないのと思うようになっていった。
おりしも性的少数者からの提起も90年代に入って顕著になり、理論的にも男女二分法の無根拠性が明らかになる中で、男女二分法を前提にして成り立つ「家族=単位」ということの問題性は明確となった。家族を単位とみている限り、女性差別・少数派差別はなくならないし、問題ともされないと主張しつづけた。
だが、「男」でもない「女」でもない多様な人(シングル)を出発点(単位)にしていこうという主張を深く理解する人は日本ではフェミニストのなかでさえなかなか増えなかった。なぜなのか。僕は最初は相手の理解能カの低さ、保守性などに原因を求めていた。
だがそれだけではなかった。シングル単位に対してはある種、共通した批判の論調があった。そうしたものをみる中で、僕は自分が無意識に前提としているものに気づくようになっていった。シングル単位を嫌悪し、家族単位に固執する入は、「単位」という意味を考える前に家族的なつながりへの渇望をもっていることが多かった。たとえば、子どもが自分の顔をみるだけで大喜びしてくれるといったような「無条件の愛」への渇望である。シングル単位論はそれを否定しているように感じる人が多かった。
だが、もちろんそれは誤読である。僕の著作を注意深くみてもらうと分かると思うのだが、僕のシングル単位という主張の底流には、入間のつながりへの信頼感のようなものがあった。つまり僕はすでに親しい人たちからその種のものをたくさん得てきたのだと自覚するようになっていった。エンパワメントの中核の自己肯定感である。これがあるから、所有的関係、抑圧や支配や従属的関係ではない「シングル」のイメージ、家族を超える連帯を自信をもって言えたのだ。その出発点としての「シングル」があらゆる〈国境〉を超えて繋がるときのエネルギーには名前がなかったからいろいろな言い方をしてきたが、徐々に僕の中でそれは〈たましい〉という概念を使うのがいいなと思うようになっていった。
最近は、この点を理論的にも少し整理して、多様性、エンパワメント、シングル単位というような人権論の鍵概念の中核に、そうした〈たましい〉への覚醒を位置付けることを試みている。名づけて〈スピリチュアル・シングル主義〉である。